懐かしさ
名古屋を走っていると、前に勤めてた会社のトラックが走っている。
( ´艸`)ナツカシイ
何故前の会社を辞めたのかと言うと、表向きは家族のためだが、実際は人間関係である。
前にも書いたけど、俺はやりたくない役職に就くことになった。しかし息子も産まれたので、稼ぐ必要もあったためやむを得ず主任の任を受けることになった。
(´Д`)ヤルシカナイ
その時は豊田にいて、会社も豊田にあった。
その会社は本社が関東にあり、豊田には新しく事務所を構えることになり、俺はそこの開所メンバーだった。
1年が経ち、俺が主任になると仕事も忙しくなり、人手が足りなくなった。どこの業界も人手が足りないが、ドライバーも例外ではなく、会社は本社から応援をよこした。
豊田のメンバーとは俺は程よく仲良く、応援の人間とも仲良く仕事をしていた。
しかし、応援の人間でも二人だけそりが合わない人はいた。というより、豊田の人間とあまりうまく仕事が出来ない。
(・д・)コマリマシタ
揚げ句の果てはクーデターじみた事件、今でも忘れないUFO事件を起こし、俺や課長を精神的に追いつめた。
(;´Д`)ヤッテラレン
語れば長くなるこの事件は、本社の介入により鎮圧されたが、俺の身体はズタズタになった。
(´Д`)ツラカッタ
その後逃げるように退職を決意し、引き止めもあったが、耐えられないことを理由に退職。今に至る訳だが、
「課長元気かなぁ?」
などとセンチメンタルな気分になる。
(´;ω;`)スマナイゼ
今思えばもう少しなんとかならなかったのかと、思う今日この頃。
課長は孤独だったと思う。
上から下から言われ、参ってたかもしれない。
いや、参ってた。
あの時少しでもゆとりがあれば、災いの元である二人を本社に追い返す段取りをしていたはず。
「あの二人を本社へ追い返してくれれば、俺は課長を支え続けます」
なんて、言えば変わってたんだろうと思う、おれんじでした。
(*・ω・)ノ
頑張れよと応援ヨロシクです。